翌年の6年生の時も、課題の日記の末尾に、いろいろな名言をひとつ紹介していったと記憶している。
そうして、小学校6年生の時に、僕と漢文の思い出を語る上で重要な出会いをすることになる。
小学校6年の、いつだったかは忘れたが、『論語』という本に出会った。当時、中学校や高校では、教育問題として「校内暴力」「不良」といったことがあり、沈静化されたとはいえ公立中学ではまだそうしたことが残っていた。親は心配に思ったらしく、私に「もし行きたいなら私立でも受験してもいいよ」と言っていた。
当時は、こう言ってはなんだが、頭がよくても普通は公立中学へ進学し、私立は高校からでも行って、有名大学へ入る、というようなコースがまだ一般的だった。自分の学年も3クラスあったが、私立へ行ったのはクラスで1人か2人程度だった。
親から、そういう校内暴力云々の危険があるから、という話を聞かされていたので、自分は多少、「中学校でどのように振る舞ったらよいのか」子供心なりに考えていた(らしい)。担任の先生にそれとなく聞くと、公立中学校でもいいんじゃないか、君が私立に行きたい気持ちが強ければもちろん行ってもいい、という答えだった。私立に行く、という選択肢は、家がそれほど裕福でないこともあり、自分は選択しなかった。
そのかわり、中学校生活をどうすごそうか、ということを小6の時に漠然と不安げに思っていたりしていた。
そんなときに、たまたま書店で山本七平『論語の読み方』を立ち読みした。論語に出てくる言葉などをもとに処世術のようなこと、君子とは何かのようなことが書かれていたように記憶している。
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そして、中学への漠然とした不安を抱いていた自分は「これだ!!!」と思ったのである。山本七平『論語の読み方』を買い、読んだ。
これが、僕と漢文の出会いの2番目のものであり、これ以後、僕と漢文を強く結びつけるとなった出会いだった。
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