「東方學」を発行している東方学会については、右下のリンクにもあるが、以下のURLを参考のこと。
東方学会
今回は、関係する論文はないなぁ・・・
と思っていたら、三国志のネタがあった。
もっとも歴史ではなく、文学方面から、文言と白話のはざまに分け入った論考だった。
上原究一「義釋考-白話章回小説の形成・発展に関する一考察-」『東方学』113
「義釋」を「義トシテ釋(ゆる)ス」か「義モテ釋ス」のどちらで読むか、ということを中心として、文言(のテキスト)と白話(のテキスト)の違い、の特徴をうまく把握、説明できているなという印象を持った。初めは、「義釋」の読みの違いで一体何をどう論じるんだろうと思ったが、面白い着眼点であり、導き出された結論は妥当なところかもしれないが、よい意味での「驚き」もあり新鮮に映った。なお『四庫全書』データベースで用例を検索した旨が書いてあったり、新しい手法・切り口だなぁと感じた。他分野の研究を読むと、いろいろ参考になることが意外にある。
ほんの小さいことなのだが、注の(11)の「中華書局評點本」はやはり「中華書局標點本」のケアレスミスであろう。自分でも気づかずにしてしまうミスはどんなに読み返してもあるし、自分自身それをよく知っているけれど、見つけたので^^
さて、『東方学』には「座談会 学問の思い出」としてある先生を囲んで、主に弟子たちといろいろな思い出話をするコーナーがあって、面白い。今回は禅研究の方だったので、個人的に存じあげていない先生であったが。
また「追悼」として、ここ1年くらいに亡くなった先生方の追悼文が載る。「座談会」と同様に、名前しか知らない大先生の一面や思いがけない性格・人生に驚いたり、感心させられることが多い。
今号は、柳田節子先生、佐伯富先生、宮川尚志先生、白川静先生などの先生の追悼文がお弟子さんにあたる方や研究分野が近い人から寄せられている。個人的に顔を見かけたことがあるのは、宮川先生だけでした。
原宗子先生が柳田先生に書いた追悼文は、なんというかうまく言えないが、心に訴えるものがあった。ときおり思うのだが、原先生の文章には「魂」を感じる。専門的な論文は非常に強固な印象が強いのだが。
佐伯先生は、「索引の先生」と早くから呼ばれていたとか、カードとりは諸橋大漢和の作成さながら、(カードが飛ばぬように夏でも部屋を閉めきって)汗をかきながら行ったこととか、真言宗の名刹の生まれで、跡をつげなかったことを晩年嘆かれたとか、中学は大平元首相と同窓、高校は剣道部で西嶋定生先生の先輩にあたる、、、とか。もっともこういうことは、多くを占める研究の事柄についての合間に出てくる感じだ。
自分も院生時代に宋代の文章(と言っても『続資治通鑑』だったか)を読むのに、固有名詞や語彙がまったく分からずに、佐伯先生編の索引をかなり引きたおした時期があった。宋代以後は文章が難しくなっていくのだが、『大漢和辞典』には収録されていない語彙が多く、当然『漢語大詞典』や『宋元語言辞典』もなかったから、役に立った記憶がある。
最後に、一番わくわくして読んだのは、
石見清裕「内蒙古・山西・寧夏・陝西・甘肅調査(二〇〇五-〇六年)」
でした。
「記録係・GPS係・写真係・地図係・温度湿度係」に分かれ、遺跡・遺物は別に担当を決めてメンバーが専用バスに乗り、「ソグド人の道(?)」を走破・調査していった記録。阪大の森安先生の科研費による活動の一環とのことで、プロジェクトが終わる平成20年度には最終報告書が出るとのことで、今から楽しみな思いにかられる文章だった。
とにかく、雑誌が届くと、「自分もやらなきゃ!」という思いが強くなる。まだいくつかやらなければならないことがあって、研究時間がとれないのだが、志だけは持ち続けなければと思う今日この頃です。
<附 記>
コメントのお返事が遅れてしまっていてすみません。。。
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