Lecturer_Weiye
@kyo_marub ないことはないけど、日本語では、ろくな本がないwww
08-23 23:16@Tawashi_Q 買ってなかったですorz勤務先にあったのを覗いた記憶だけでしたwww
08-23 23:15@kyo_marub というか、戦国時代から漢代にかけて人口の大幅な減少ってあったんですか。僕はそれ自体が初耳です。少なくとも出土数で言えば、戦国時代に普及とは言えません。漢代でようやく農具に普及が及んだ、くらいです。調理具に鉄製が普及したのは、宋代以降というのが宮崎市定の論で僕も同意見です。
08-23 23:12@kyo_marub これには反論があり、1.戦国時代の鉄製農具・鉄器はそれほど出土しておらず、漢代・後漢の方が多い。3.戦国時代における鉄製農具や鉄器の“普及”はなかったのではないか。というもので、僕はこれを支持しています。先進技術としては確かに戦国時代に出てきます。普及したのは漢代~かと。
08-23 22:43@kyo_marub 実はこの部分、中国史では論争があり、いまだに決着を見ていません。世界史の教科書には、戦国時代に鉄製農具が普及し、一気に鉄器が普及した。だから生産量があがって、実力本位の下克上の世の中になった、という流れです。
08-23 22:37@kyo_marub 「食物は鋳鉄の鍋釜で料理できるようになり、玩具まで鉄のものができた。」こう言い切っているのは、出土品があったから、もしくは前四史にそういう記述があるからでしょう。前四史に上記のような記述があるとは思えないので、出土品があったからでしょう。さっそく1点見つけました。
08-23 22:32@kyo_marub 鉄製の調理器具はたしかに出土してますけど、たぶん1、2点、多くても一ケタだと思います。これは調べてご報告します。「食物は鋳鉄の鍋釜で料理できるようになり、玩具まで鉄のものができた。」とテンプルが一般化して言うのは、明らかにミスリードです。それは追わない方がよいかと思います。
08-23 21:58@kyo_marub この中で、テンプルさん・大橋周治さんは歴史的に見て間違いを言ってます。また、考古学者の陥りがちな点に、「当時の最先端技術の発見をもって、それ以降はそれが容易に達成できるようになった」という考えがあって、これは必ずしも正しくありません。ただし、一般読者は見抜けないですよね。
08-23 21:46王仁湘『往古的滋味:中国飲食的歴史与文化』山東画報出版社、2006年・24元こいつが原書なのですが、ん、あんまり図が載ってないぞwww https://t.co/5t7tnNNFPb
08-23 21:39いろんな蒸し器があったのは確かだと思いますが、本流・主流は何かについて押さえておいて、あとは単なるバリエーションだとした方が、話が広がらずに、基本が追えるので、そういう方法がよいかと思います。
08-23 21:26
と、某リクエスト板にリク出したら、そっこうで準備してくれる、自分も管理人の一員の某サイトはホント素晴らしい。そりゃボランティアでも管理人やりますよ(笑)。あ、別にあやしいサイトじゃないです。実名登録もしてるし、2006年からすでに14年も中国ドメインでやってます。
08-23 21:21@Tawashi_Q あー、この本どっかで買ったような。あれ、日軍のでしたか!!!でも航空写真から地図に起こすのは10万分の1が主で、それ以上の大縮尺には向かないとか聞いたような(あまり低空で飛べないとかの事情から)。逆にCORONAとかLandsatの方が適してるのかもしれません(よく知らんけどw)。
08-23 21:13@kyo_marub 『孔子家語』でも「瓦鬲」(土器の鬲)で作っていて、同名同型の土器が日常用だと思うのです。漢代の画像石の厨房図の調理具は、とても青銅製や鉄製には見えないし、そもそも鉄製農具も後漢にようやく豪族層まではおりてきたので、鉄製の調理具は焼き鳥のやつくらいしか僕には想定できないです。
08-23 21:08青銅製はやはり儀礼用で日常用ではないし、漢代も鉄製が日常用にはなってないと思います(墓の副葬品などから)。副葬品で青銅製も馬王堆から出てますが、あれは葬送儀礼で実際使ったものだし、基本的に日常用は土器なんじゃないかと。王仁湘はまともな考古学者なので、ちょっと原書見てみますね。 https://t.co/aUwWWBekUl
08-23 20:59@kyo_marub 土器で炊いたやつなんて、うまいわけないやん(どうせろくな穀物じゃないんだろうし)。みすぼらしいやつやん、ってことなんでしょうね。ケチだから、普通ではなく、土器で炊いた、貴族階級は金属器で炊くか、炊かずに蒸して団子か、でしょうか。
08-23 19:25RT @ihptaiwan: The IHP's FSN Library is home to roughly 2,200 rubbings of the Liao (907-1125 CE), Jin (1115-1234), & Yuan dynasties (1260-1…
08-23 19:05The Cambridge of History China(16 vols.) was all published in 2019 from the beginning in 1978, spending about 40 more years.https://t.co/YRQMicIYoH
08-23 18:46@Magnezone462 中華書局(顔師古注)本からの場合、注はすべて顔師古注としているわけですね。漢書の場合、注はすべて顔師古によるわけですが、、、『文選』(李善注)とかの場合も同じなのですかね。漢語大詞典には、凡例で何か書いてあるのだと思います。必ずしも統一した記述基準があるわけではないので。
08-23 18:26@Magnezone462 いま理解しました。「某某曰AA師古曰BB」は顔師古注本が載せてる他家注の話やはり「某某(注)曰AA:師古(注)曰BB」です。顔師古が他家注を見ている箇所(「師古曰(AA)某某云BB」など)は、「顔師古注曰:“AA”:顔師古注引某某曰:“BB”」あるいは、「顔師古注曰:“AA, 某某云BB”」ですね。
08-23 16:52@Zerosp2017061 清儒は確かにやってますね。原典にあたるとなくて、どっからだよ!とかよく怒ってましたw
08-23 16:44@kyo_marub 基本的にこの分野は論文や学問として評価されない傾向にあり、また研究としてもまとめにくいのです。。。漢代の飲食で博士課程までいった人もいるのですが、博士号をとれたかどうだかorz
08-23 16:29@Magnezone462 師古曰(・・・・・・)某某云……という箇所はあります。顔師古が他家注を参照していることが分かるように、“曰”じゃない漢字を使ってます。
08-23 16:17@kyo_marub 篠田さんのは古典的名著で研究の出発点にすべきなのですが、いかんせん研究が古いので、その後の出土文物や知見で修正する必要があるんだと思うんですよ。その辺が服飾(原田淑人)と同様、この分野の研究が少しやりづらいんだと感じます。ほとんど研究している人がいないので。。。
08-23 15:52@Magnezone462 通常、「某某(注)曰AA:師古(注)曰BB」ではないでしょうか。というのも、顔師古が他家注を引いている箇所もあるので、そういうところの「顔師古注引某某曰~~」と区別をしないといけませんので。
08-23 15:44@kyo_marub 羹は、蒸さずに煮てスープ/粥にする、です。そもそも土器は、煮炊き用だと思うんですけどね。焼き跡がついていることからしても。でも、蒸し用を否定はできませんが。ただ蒸し用だとしたら、秦漢の農民はすべて蒸し料理を食べていたってことになっちゃいます。肉以外の魚から野菜から穀物まで。
08-23 15:33@KomatsKen 同じ印鑑で捺したのに朱肉の量が違って、印影が異なって見えたことから、銀行のある手続きで一度ストップがかかったことがありました。印鑑証明にしても、常に同じ印影が残せるわけでもないし、何の同一性をどう証明するのか、疑問に思った瞬間でした。
08-23 15:26@Magnezone462 本注は本注、師古のところは顔師古注でよいかと。もっともこの本注は、顔師古「漢書叙例」によれば、『漢書』にはそもそも注がなく後漢~晋代につけられた諸家の注釈を、晋代の蔡謨が、区別もせず漢書に組み込んでしまってできたとのことですが、今日では本注と言わないと逆に分からないです。
08-23 15:08@Magnezone462 その部分は、本注ですね。
08-23 14:56@Magnezone462 『漢書』地理志ですか。。。
08-23 14:53@kyo_marub 素焼き土器でお湯を沸かしても、お湯は土が煮出すけど、蒸気はただの蒸気ですから問題がないということなのでしょう。青銅器で煮炊きした事例については美大の人に聞いたことがあるのですが(成分が溶け出して下痢をする)、素焼きのは聞いたことがありませんでしたw
08-23 14:44@kyo_marub ふむぅ。。。たしかに篠田さんの中国食物史に、長時間の煮炊きは土の臭みがにじみ出るから使えない、短時間でも出る、旨書いてありますね。陶器は後漢にならないと出てこないでしょうけど、素焼き土器で煮炊きしてなかったと考えるのはどうなんでしょうね。もう少し僕も読んでみます。
08-23 14:40【先祖調査】やはり藩士レベルは、各県ともにウェブで確認できる時代に入ってきた。以前知らなかった、親子同名の人も結構いる。なんなら五代くらい同名もざら。歌舞伎の名跡みたいな感覚か。「福井藩士について調べる」@Fukui_Pref_Archhttps://t.co/zZ5cd3Ucun
08-23 14:11RT @yuta1984: デジタルアーカイブ福井(https://t.co/k2zazL6tWO)との連携プロジェクトを #みんなで翻刻 上で公開しました。往来物など、現在はくずし字学習向きの資料を翻刻対象として公開しています。今後も資料が追加されるはず!https://t.…
08-23 14:08RT @okjma: 『婦人倶楽部』附録の『一萬五千語くづし方手本』は、『一萬語くづし字手本』の増補版と言うことだが、7行4段でpp.50-560。28*511で14308。ここから、「あの部」などが3語分とっているので3*44を引き(「ゐゑを」なし)、刊記の分が5*2取ってい…
08-23 13:15同感。訳文の古さ・表現の堅さはあるけど、自分は、岩波文庫版をまず見て、その後は中華書局か会注考証です。 https://t.co/hR2XX2FHVz
08-23 13:15本書は100年来出土してきた簡牘・帛書の概況(出土地点・数量・形状・主要内容等)を全面的に記し、簡帛そのものが含む各種のルール(材料応用・文字変遷・符号応用・編聯形式・文書分類・収蔵保護等の各種規律の基本常識)を解析李均明さんらしく、最新の簡牘学にふさわしい。https://t.co/6fT7bTmukr
08-23 13:10【新修】『当代中国簡帛学研究(1949–2009)』中国社会科学出版社、2011年・85元ホントは(1949–2019)が欲しかったのだけれど。出土簡帛について、ほぼ網羅してる(研究ではなく出土について)このシリーズ、考古学・甲骨学・徽学・敦煌学・古代史研究・近代史研究などもあり。 https://t.co/7yF34kJaXQ
08-23 13:08@Tawashi_Q 外邦図のもとになった航空写真は、日本では見たことがないですね。アメリカが接収したものは、外邦図研究会のメンバーが見つけ出して論文で公表してましたけど。
08-23 12:53@kyo_marub 僕の考えでは、華北の雑穀はそもそも粒が小さすぎて、スープに入れて煮るか蒸して団子にするかしかなかったから、調理法としては“煮る”“蒸す”が重要だったのかなと思ってます。小麦の粉食が一般的になって、“蒸す”から離脱できたけれど、調理法としては残り続けた。そんなイメージです。
08-23 12:52@kyo_marub んー、よく分かりませんが、煮炊きに向かない土器(貯蔵用?)をわざわざ作っていたということですか。煮炊き用の土器を作ればいいだけかと思っちゃいます。後代、鉄器が出てからそれをクリアした、みたいなイメージですかね。
08-23 12:46@Tawashi_Q 僕もその点佐竹先生に質問したのですが、1.現在の道路は、畦道を利用している(地割に合致)。2.農道/畦道というのは2000年経っても変わるものではない(後代の地割も周代と矛盾しないはずw)とのこと。2.はそんなことあるかいと思ったのですが、渭水盆地限定ならありうるかもなと。
08-23 12:44大阪本草図書刊行会『新修本草』は、仁和寺久昌院旧蔵のもののようで、明治期には筆写されて中国で刻行された模様。真柳誠「清国末期における日本漢方医学書籍の伝入とその変遷について」https://t.co/BOB6xr9KSG
08-23 12:37【新収】陶弘景『神医別録』(輯校本)人民衛生出版社、1986年・9.6元陶弘景って、『神農本草経』に続く医学書を出していたなんて、まったく知らなかった(逸書)。底本を、大阪本草図書刊行会の新修本草経(唐写本)としているが、よく分からない。 https://t.co/TZw3BM26r5
08-23 12:21