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古代中国箚記

古代中国の文章・文物・歴史・研究について。とりあえず漢文(古典漢語)や漢字について徒然なるままに、また学会覚書、購書記録なども記していきます。

中国大陸で終戦後に戦死した大叔父のナゾに迫りて(その1)(戦没者・先祖・家系調査の難しさ)

長い記事になります。1年ほど前から、自分のルーツを調べようと、入手できる戸籍(改製前除籍謄本)をかたっぱしから郵送取り寄せしました。祖父(以下、母方のみ下線)が戦争に行っていたことを母親から聞いていたため、いわゆる軍歴証明書も請求しました。

なお、私の母はすでに亡くなっており、父も88歳と高齢で、親戚づきあいがほとんどなく、叔父や叔母、従兄弟くらいしか私も面識がありません。

集めた戸籍(除籍謄本)は、父方15通母方6通計21通です。曾祖父が戸主になっている(はずの)戸籍は、明治31年式、明治19年式ともに“保管期間を経過し廃棄済み”(品川区)であったため、入手できなかったのが残念でした。

全21通の戸籍の情報を入力していくなかで、大叔父(祖母の弟)の一人・修蔵さんの欄に以下のような事項が書かれていました。
監利県
昭和貳拾年八月貳拾日時刻不明中國湖北省監利縣ニ於テ戰死

つまり、大正9年7月生まれの修蔵さんが、終戦後の8月20日で中国大陸で“戦死”している、とあったのです。

このことを父親に尋ねると、
「修蔵はね、確かに戦後すぐにね、戦死してるよ。終戦後すぐだったのにね。(修蔵の兄から)“手榴弾を抱きかかえて、アメリカの戦車に飛び込んでいった”と当時聞いたよ」
とのこと。

私はすぐに、「終戦後」に「中国」で「アメリカの戦車」に飛び込んで「戦死」とは、いったいどういうことなのか、不思議に思いました。
親父の記憶が曖昧なのか、当時、そういう美談にしておきたかったのか、戦後の混乱で日付などの記録が間違ったのか、そんなところだろうと考え、N県に軍歴照会をすると、兵籍簿などが残っているというので請求しました(申請者は3等親以内までだったので、父親名義で請求。ちなみに、父の話から4人の大叔父が陸軍の兵隊として戦地に行ったので、4人あわせて請求)。

実の兄弟で終戦時の本籍地が同じでありながら、大叔父4人中2人の兵籍関連簿しか残っていませんでした(おそらく他2人は修蔵より年長なので“廃棄”、もしくは混乱のなか残らなかったのでしょうか)。
N県からは、以下の書類の複写が届きました。

・陸軍兵籍
・陸軍戦時名簿
・上記戦時名簿の“履歴”部分の拡大
・戦没者調査票
・独立混成第十七旅団独立歩兵第九十大隊略歴(以下、部隊行動略歴)

もう1人の大叔父のものより「戦没者調査票」が多いだけで、N県で把握しているもののすべてのようでした。

さて、この段階での僕の予想は以下の通りです。
1.部隊を離れての行動はなかったはずだから、修蔵さん所属部隊は監利県附近を通行中に、戦闘ないしトラブルに巻き込まれて、戦死となった。
2.
つまり、部隊行動略歴を見れば、その辺がサクッと分かるだろうと・・・。



(では次回は、修蔵さんの“陸軍戦時名簿”“部隊行動略歴”をつきあわせてみましょう)
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