その間、現実の生活(生活費)のために研究から遠ざかり、論文を書かず/書けず、学会や研究会にもいつの間にか行かなくなった。研究仲間や先輩・後輩が次々と大学の専任教員になるのをなんとも言えない気持ちで眺めながら、今ではそのほとんどが准教授・教授になりました(それは実にめでたい)。
自分は、踏ん張らなければならなかったときに、「生活をきりつめてでも」「招来の不安を抱えていても」やるのだという研究テーマではなかったから、論文が書けなかったのだから、その両者の差は当然なことだ。
ただ、昨年からは、某大学の東洋史専攻に学生に、演習と講義と、そして非常勤にもかかわらず卒業論文の指導もしている。
論文指導をして、自分ならこの史料をこう理解して、こういう結論にするのだが、、、とか、こういう検索方法で関連記事を探し出して補強するのになあ、、、とか、いろいろと思うところがあった。
もちろん学生には、卒論指導としてそれらは伝えているが、やはり学部生の4年で、つまり大学院進学をせず、そのまま社会に出る学生にとってみれば、卒業論文は、研究としての完成度を求めるより、まずまず単位がとれればいい、あるいは、規定の字数に達していればいいから、今書いてあるのを削除して、さらにまた他の作業をした上で新しく文章を書くという選択肢はなく、採用されなかった。
また、指導を通して、漢籍史料そのものに興味関心が湧いてきて、「研究史」の流れのなかでは何の意義もないかもしれないけれど、明らかにしたいことが出てきた。
それらは、twitterのアカウント(@Lecturer_Weiye)で、雑然とつぶやいてきた。Twitterのいいところはいくつもあるが、自分にとっては、関連した情報が一箇所に集積されず、自分のつぶやきさえも検索で探すということが出てきた、
ここは、そうした「集積した情報を載せる場」として、今後活用していきたい。
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