古代中国箚記

古代中国の文章・文物・歴史・研究について。とりあえず漢文(古典漢語)や漢字について徒然なるままに、また学会覚書、購書記録なども記していきます。

白川静 三部作『字統』『字通』『字訓』

いま、ちょっとした仕事で古語辞典の項目執筆をしているのですが、猛烈に、


新訂 字訓白川 静
『新訂 字訓』
平凡社、2007年





が欲しい。いや、禁書令(本を買わない運動//笑)が出ているので買いたくないのだが、仕事で使うので買っちゃおうか、いややめておくべきか。。


この白川静の『字訓』は、いわゆる白川静三部作『字統』『字訓』『字通』のうちのひとつである。

『字統』は、白川氏の畢生の大作『説文新義』は基本になっていて、漢字の淵源にさぐった漢字字源字書とでもいうべきもの。甲骨文・金文・篆文の形を複数出しており、字義を細かくさまざまな方法で読みとっていく。「漢字の語源・字源」については現在もさまざまな説があり、学説が一致している漢字を見つけ出す方が難しいくらいだ。

学研の漢和辞典は藤堂明保の学説をいまも引き継いでいるし、三省堂の『漢字源』は「『説文解字』の訳」を載せることで語源・字源の解説の代わりとしている(ため、『説文解字』にない字の字源解説はなされていない)。その他の出版社の漢和辞典は今手元にないので触れないが、漢字の語源を網羅的に研究した人は、中国人にも(ほとんど?)おらず、日本の加藤常賢・藤堂明保・白川静の三氏くらいしか、私の頭には出てこない(もしかしたら他にもいるやもしれず)。

一言でいえば、漢和辞典をひいて、漢字の語源・字源を調べてはいけない、のである。

そこには、誰かの説が載っているか、あちこちの語源説を切り貼りしたような、そして一見もっともらしいものが書かれているけれど、実は語源に迫っていない説が立派な顔をして載っているのがオチである。

もちろん、漢和辞典をひいて、漢字の意味を調べることはできる。しかし、こと語源となるとそう簡単にはいかないのである。

これは、日本語でも同様で、『古語辞典』にはたくさんの用例とともにその古語の意味は載っているけれど、たとえば「あさ」という和語の語源についてはまったく示されない。したがって、「朝」の「あさ」と「浅はか」の「あさ」が同じものから出てきているのか、まったく別物なのか判断がつかない。

むろん、それらは『日本語語源辞典』のような書名のものに載っているのであるが、これは「誰かの説」を載せているにすぎないのが実情である。

古語辞典の項目を執筆する中で、漢字の語源同様に日本語の語源、つまり和語の語源というのは本当にさぐりがたいのだと痛感した(そもそも文字資料が絶対的に少ないので当然のことである)。

たとえば、古語「浅し」には「時間があまり経っていない」(「春は浅い」「夜が浅い」など)ことを表す意味がある。それに比して漢語の「浅」には「水が少ない」「水かさが少ない」から「考えが小さい」「色が小さい(薄い)」ことを意味しているが、こと「時間」については「浅」は用いられない。

#「浅学」は、学んだ時間が短い、あるいは短時間で学んだことだから「知識に乏しい」ことを意味しているのではなく、あくまでも「少ない量を学んだ」=「知識に乏しい」意なのである。


すると、漢語「浅」と和語「あさ(し)」を古代の日本人は、ほぼ同じ意味だとして「あさ」という音に「浅」という漢字をあてて定訳(つまり訓)としたわけですが、素人考えではありますが、上の比較から判断するに、

和語の「あさ」には「時間があまり経っていない」ことを表す意味がある(もしかしたらそれは語源かもしれない)わけです。

「あさ」に「朝」という漢字をあてはめれば、「1日の中で時間があまり経っていない時」という意味になるではないですか。

と、ここまで書いたら、トンデモな内容でかつ、白川静三部作からかなり離れてしまいました(笑)。


古代の日本人は、和語を漢字にあてはめる作業をして、訓読みができたわけですが、漢字は文字としてのイメージも強ければ、熟語の数・概念の数も多かったはずです(古代漢語の熟語を見れば分かるでしょう)。和語としての意味は、現代には『古語辞典』などにかすかに見受けられる程度かもしれません。

ここにフィーチャーした古語辞典が、白川静の『字訓』なのであります。引用古文は『日本書紀』『古事記』『万葉集』を基本にしていて、和語の語源にも迫っています。類を見ない辞典なのです。


新訂 字統白川静
『新訂 字統』
平凡社、2007年





は、新訂版になる前に古書店で6000円ほどで買い求め、睡虎地秦簡の字の同定などに使ったり、いわゆる白川氏の「口」説を含むさまざまな説を読みました。一時期は普通の漢和辞典をひく前にこれをひいたものです。

そんな作業をして気づいたことがあります。ところどころで違う説明をしているのは、辞書という大量のデータを相手にしているのでやむを得ないかとは思いますが、説明が非常に細かい漢字と、ほとんど説明がないような漢字があるのです。

使っていて、よくよく考えてみると、説明が詳しい漢字は、白川氏の「漢字はすべて祭祀関係のものであった」という自説を述べることができるところで、説明のほとんどない漢字は、祭祀関係ではないものだったりしました(音が近いから仮借したなどとする場合もあるが、他の所で詳細に語源を書いているのと対照的にあっさりしたものです)。

その辺に白川説の限界を感じたものです。また祭祀に使う入れ物(口)についても、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない、と言ってしまうことも可能です。実証実験や追試ができないからです。私自身は、祭祀関係の漢字については、かなり真実に迫っているのではないか、と思っています。

というのも、「占卜を記録する」行為は極めて神聖なものであり、そこに刻まれた甲骨文字(すなわち漢字)も神聖なものであったはずです。具体的な祭祀の道具や行為をより多く刻んだとすれば、白川氏の方法はベストな方法でしょう(もっともすでに指摘されているように、甲骨文字に簡冊を意味する「冊」という字が存在していたので、木簡・竹簡にも漢字は記されたでしょう。ただし、それを文書行政に使ったとは到底考えられませんから、何らかの祭祀関係で使われたのでしょう)。

白川氏も、甲骨文字の時代に文字の仮借を想定しているように、この時代ですでに仮借が行われていたのであれば、漢字はその頃すでにそれなりに長い歴史を有していたのでしょう。藤堂明保氏がよく白川氏を「言葉が先にあったのか、漢字が先にあったのか」と批判するのも理解できますし、単語家族説もギチギチに適応しない余裕があれば、受け入れられるものも少なくありません。

語源・字源を探るには、絶対的に資料が少ないので、様々なアプローチがあってしかるべきなのです。

ちなみに、

字通白川 静
『字通』
平凡社、1996年。




は、CD-ROM版を導入しているので、普通の漢和辞典のようにして使っています。というか、スタイルとしては普通の漢和辞典そのものです。『字統』と『字訓』がそれまでに類を見ないものだったのです。

あぁ、欲しい・・・。





と、つい現実逃避をしてしまいました。仕事に戻ろうっ!

<2013.8.14 追記>

上で披露した「浅し」のアサと「朝」のアサは同じではないか、という「思いつき」ですが、下記の書籍にこうありました。


日本語源大辞典前田 富祺(監修)
『日本語源大辞典』
小学館、2005年





あさ・い【浅い】

語源説

④アサは朝と通じる〈国語本義・名言通・和訓栞・紫門和語類集〉。



江戸後期からそう考える人はいたんですね。当否は分かりませんけれど。
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