すでに、あちこちのブログで取りあげられているので、ここでは紹介に留めておきましょう。
・枕流亭ブログ
「曹操の墓キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!」
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20091227/p1
「曹操の墓キタ━つづき」
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20091228/p1
・三国志ニュース
「曹操高陵在河南得到考古確認(2009年12月27日)」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/1539
ぱっと見た感じでは、同時代の磚室墓の規模をはるかに凌いでいるということ。
これだけで王陵規模のものだというのは分かります。この夏に壁画のある漢魏晋墓をいくつか見ましたが、それらは墓室と墓室をつなぐ道は、背をかがめないと通れないほどでしたが、この「曹操墓」は普通に歩いて通れるくらいの規模を持っていますから。
現地報道によると、何度も盗掘にあっているそうで、副葬品は墓の規模からすると少ないものの「魏武王常所用格虎大戟」などの石牌がいくつも見つかっており、文献や石碑(1998年に出土した後趙建武年間の「魯潜墓誌」)が記す曹操の墓の位置と一致することなどから、この墓が「曹操墓」だと認定できるとのこと。また頭蓋骨が残っていて、鑑定の結果60歳前後だとか。曹操が66歳で死んだことと合致するとの報道もありました。石牌の字姿は、後漢のものというよりどちらかというと北魏の石刻に見られるような字に似ていますね。まぁ、漢碑にもないわけではないタイプですけど。隸書の類とは明らかに違う書風です。
初めの報道では、どんなもんだろう、と思っていたのですが、今のところ、河南省文物局が言うように「曹操墓」と見て間違いなさそうです。ただ、画像石が出てきたというのはちょっと解せない話かもしれません。基本的に画像石は、墓主を弔う参詣者に見せるものだから。
なにはともあれ、今後の正式な発掘簡報を待ちたいと思います。
中国でも各メディアが報道していますね。
かの東方衛視の「東方新聞」(東方ニュース)やCCTV(中央電視台)でも取りあげられています。
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テーマ:三国志 - ジャンル:学問・文化・芸術