![]() | 水月昭道 『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』 光文社(光文社新書)、2007年。 第1章 高学歴ワーキングプアの生産工程 第2章 なぜか帳尻が合った学生数 第3章 なぜ博士はコンビニ店員になったのか 第4章 大学とそこで働くセンセの実態 第5章 どうする?ノラ博士 第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院 第7章 学校法人に期待すること |
を読み終える。
最近は移動途中に漢和辞典の仕事を主にしているので、本を読む時間がなくなってしまった。
4月に買った本なのだが、1ヵ月かけて「トイレ読書」(笑)で読了。
この本のこととおおよその内容は知っていたが、たまたま本屋で見かけ、
「非常勤講師とコンビニのバイトで月収15万円。
正規雇用の可能性ほぼゼロ」
という本書の帯を見て、購入を決意。その時の正直な感想は「非常勤講師という「職」があり、コンビニバイトの兼業ではあっても月収15万円「も」稼いでいるなんて、自分よりよっぽどいいじゃん!!」なんて思ってしまったから(え)。
前半部分の、東大法学部がやり玉にあがっている箇所の客観的な根拠がよく分からなかったが、文部省のかけ声のもとに院生がなかば政策的に増産されたが、その受け皿(就職先)は現状維持どころか減っていっている状況であること、また高学歴ワーキングプアな人々の実状をいくつか紹介している点がよかった。なかでも、入院(大学院に入ること)後に博士号を取得することが文系にとってどのようなことを意味していたか、いるのか、この本を読んでもらえればよく分かると思う。
正直、今の私は、本書に言う、高学歴ワーキングプアの一人である。
しかし、一方で研究を続けられていてよかったとも思う。私のいたゼミで博士課程まで進学したのは、留学生を除き6人で、うち同世代は3人であった。先輩にあたる3人は、1人が大学専任教員に就職、1人が家業兼大学講師をしていたが、病に倒れられた。残る1人は、郷里に帰っていている。同世代の3人は、1人は音信不通、1人はかなりの紆余曲折を経て会社員、残る1人は私である。
私も何度も研究の道をあきらめようと思ったか分からない。
研究では正直飯が食べられないので、修士課程の時にはいくつかの公務員試験も受けたし、博士課程の時は、研究をせずに高校の非常勤を目一杯入れて高校の専任を目指した時もあった。30歳半ばになっても大学講師の経験がなかった。もうこの道ではダメだなと思った。努力も足らず、研究も中途半端で論文という形にできたものはほとんどなかったし・・・。
この本は、なにより、これから大学院を進路のひとつにする大学生に読んでもらいたい本であり、
また大学専任教員にも読んでいただきたい本でもある。
ネットにも紹介記事や書評が載せられている。
内容紹介は下の記事が詳しいので、あわせて読んでいただけると幸いである。
・NBonline(日経ビジネスオンライン) 後藤次美(評)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071127/141592/
ちなみに、私がこうして曲がりなりにも研究を続けていられるのは、その時々に助けてくれた先生方・研究会があったからだと言い切れる。
・YXX大学のJH先生とJHゼミのSC君を筆頭に多くの人々。
この人達との関わりがなかったら、博士課程に入学して2,3年でやめていたと思う。JHゼミには7年くらいは出席しただろうか、他大学の院生にもかかわらず非常によくしていただいたし、今もその関係は続いている。実名にしたいところだが、感謝の言葉を述べたい。
WC研究会の先生方と研究会の同世代の人々。
この研究会には本当にお世話になっている。GW先生には論文執筆の機会を与えてくださった。同世代の人々は多くが大学専任教員・講師になっているが、同じ研究仲間として刺激を受け続け、励まし合っている。
・SM先生とその勉強会の人々。
学問的にも生き方としても勉強になっている。やはり同志を見ると奮い立つものがあるし、非常に多くのことを啓発させられる。SGさんにはバイト先もお世話になったりした。
いろいろな人に支えていただきながら、現在の自分があり、教壇に立てていることに感謝したい。
指導教官であったZS先生は学問的に大変厳しい先生であったが、その厳しさが今になってどのような意味であったのか、思い知らされることが多い。
私は高学歴ワーキングプアだろうけれど、それでも、たとえば道半ばに自ら命を絶った後輩や研究を続けることができなかったゼミ仲間のことを考えたら、研究を続けているという点においては幸せである。いろいろな人生、いろいろな人のことが読みながら頭に去来した本であった。
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テーマ:研究者の生活 - ジャンル:学問・文化・芸術