その本の中には、読み下し文をもとにしていて、いくつか『論語』の言葉を紹介していた。そのため、『論語』なる本を全部読んでみたくなった。
とりあえず、図書館へ行ってみた。小学生高学年くらいから普通に利用していたので、とくに抵抗はなかった。でも、小学生が使う「児童室」には『論語』はなく、大人が利用する「一般室」にしかなかった。
そこで、一般室に行って、『論語』を借りた。
僕の持ってきた『論語』を見て、手続きをした図書館の人に
「君は随分むずかしい本を読むんだね~」
と言われたのを、今でも覚えている(w
そんなに難しい本なのかな?いい本なんじゃないかな、なんて思っていた自分が、、、今思うと怖い・・・。なんせ小6のガキなのだから。
その後、中1になってからだと思うが、My『論語』を買った。
駅前にあった書店の、中公文庫の貝塚茂樹訳注のものだ。これを頭から読んだり、つまみ読みしたり。。。
始めに書き下し文があり、次に原文、現代語訳、コメント、という順番だった。この『論語』を読むことを通して、自然に漢文訓読調の言い回しに慣れ、古注と新注があるんだ、とか、頭に入っていった。
それ以上に、以前話したように、中学でどのように生きるべきか、なんてことがあって、『論語』に答えを求めたので、数々の名言が自分の心の中に響いてきた。
「巧言令色、鮮ないかな仁」
「吾、日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」
「行ないて余力あれば、則ち以て文を学べ」
「過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」
「事に敏にして言に慎む」
「己れを知らざるを患えず、人を知らざるを患えよ」
などなど・・・
要するに、中学時代の自分は『論語』に描かれた理想の人物像である「君子」を、自己の理想像に重ねたのだ。
※そしてそれは勿論、後に崩されていくのだが(笑)
その『論語』は今でも僕の書棚にカバーがかかったまま、置かれている^^;

それと、なにより2000年以上も前の人の言葉が、2000年以上後の自分に、しかも中国でなく日本にいる自分に、伝わっている、という事実に非常に興味を覚えた。すごいな・・・と。
漢文ってすごいな、2000年も前のことが分かってしまうんだな。そう純粋に思った。
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