その際、またもや肝心な資料が手元にないことが発覚。。。
こんな部屋イヤだ(w
さて、
nagaichiさんの枕流亭ブログの2007年9月10日の記事
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20070910
を見た。
京都大学人文科学研究所が所蔵している石刻拓本資料をもとに、魏の王基残碑の釈文をされている。 詳しくはリンクをご覧ください。
うち、不明な字をひとつ挙げている。
どんな字がというと、下の『金石萃編』でいうと、下から4字目の字。

最近、漢字の異体字字典>「獨」の異体字に寄せてというブログ記事で、石刻資料の字体や異体字を探す工具書をアップしたこともあり、また自分も上の字は初めて見る字だったので、工具書を使って少し調べてみた。
釈読できない字を探すのは若干難しい。が、今回は画数が多い漢字だったので、『碑別字新編』で画数の多い字をパラパラ見ていたら、類似する字形が見つかった。

この段階で、「なべぶた」の有無は違えども、「釁」と釈文していいと確信^^;
というのも、「爨」字などは「なべぶた」がついている字形も石刻資料には見えるので。
そこであらためて、『隷韻』(画像:上)と『隷篇』(画像:下)で「釁」の字を探して見てみた。


上の画像に見える通り、(清)翟云升『隷篇』は、王基残碑の件の字を「釁」としている(第三・十八葉)。恐るべし清朝考証学者!!
ついでに『漢語大字典』で「釁」の字を見てみたら、王基残碑の字形を類例にあげていた。また『大書源』でもP.2728に王基残碑の字を「釁」の類例として載せている(下の画像参照)。

もっとも、『大書源』が採用しているのは、冒頭に挙げた『金石萃編』の字形で、拓本に近い『隷篇』の字形と少し違っている。真ん中が「酉」のような感じになっているのが本来の形だと思う(枕流亭ブログにアップされている画像を見れば分かるだろう)。
大部の編纂物には仕方がないと思うが、何かの種本を集めてきていて、原資料にあたっていないのだろう。
ちなみに、「釁」は、音は「ケン」。意味はいろいろあるけれど、王基残碑では「すき」か「あやまち」といった意だろうか。。。よく分からない^^;
ちなみに、この王基残碑は、三国時期の筆跡資料が少ないこともあって、書道の世界ではそれ相応に有名。『魏・曹真残碑 王基残碑』二玄社でも取り上げられている。この書ではどう釈読してるのかな。持ってないから分からないんだけど。
以上、nagaichiさんのブログに書き込もうとしたが、なぜか拒否られてしまったので、あえてこちらに書きました^^;
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