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古代中国箚記

古代中国の文章・文物・歴史・研究について。とりあえず漢文(古典漢語)や漢字について徒然なるままに、また学会覚書、購書記録なども記していきます。

遂に出た!二畳庵主人『漢文法基礎』

まだ現物を見ていませんが、幻の書と言われた漢文の解説本が復刊されました。

2chの漢文参考書スレには必ずといっていいほど登場する本。
そして古本では必ず1万円以上する!!

というのも、いわゆる受験参考書だったために一般に流布せず、従って、国会図書館にも蔵書がなければ、地域や大学図書館などにもほぼ蔵書がないというものでした。扱いとしては図録と同じですね。でも、最近は図録は図書館でも見かけるようになりました。

知る人ぞ知る、『漢文法基礎』です。久々に「買い」の本が出ましたよ。本は買わない宣言しちゃいましたが、今年はこの1冊だけ買って打ち止めにしようとすら思ってます。たぶんあまり数を刷っていないでしょうから、学術文庫版も早晩、品切れになるかと思われます。買うなら今です。

二畳庵主人・加地 伸行
『漢文法基礎  本当にわかる漢文入門』
                    講談社学術文庫、2010年。

漢文法基礎  本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)


もっともこの本、「基礎」とありますが、全然基礎ではありません。「入門」でもありません。
むしろ内容や中身は一通り漢文を勉強した人向けの応用編なのです。以前、私はZ会から出ていたバージョンを持っていました(「ポルノ漢文」を例文に取りあげて紹介していたバージョンで、たしか増進会出版社から出ていたと思う。//値段の高い時に1万円くらいでヤフオクに出して売りました//笑)。ポルノ漢文の部分だけスキャンしておいたのは言うまでもなく(ただ、ちゃんとファイル名をつけなかったので、パソコン内で行方不明中//笑)。それくらい稀有な本だったのですが、このたび、二畳庵主人は私(加地伸行)のことだと告白した上での発売のようです。加地先生は儒教・儒学の研究者です。予備校でバイトをしていた時の講義録のようなものでしょうか。amazonのレビューを見ると、

「後記」にも書いてありますが、昔あった、「第五部 問題編」や、「第六部 中国の文化と社会と」がありません。


とのこと。問題編がないのはおそらく著作権の関係か何かでしょう。第六部 中国の文化と社会と、がないそうですが、この部分は別途出版するとか。しかし、以前の記憶だと、それほどの分量はなくまた新鮮味もなかった気がします。とにかく、書店で見たら一度手にとって読んでみてください。独特な文体でまくしたてるような口調で書かれています。なので、系統だってはいませんが、漢文を読んだことのある人であれば、うんうん、そうだよね、とか、なるほど、そうだったのか、と思うに違いありません。入門には適していませんが、漢文の読み物としては独特な世界を築きあげていて、面白いものです。

しかし、文庫本で「1733円」は高い・・・。
というか、今日(2010/10/21)現在、新品に在庫があるにもかかわらず、すでにアマゾンマーケットプレイスで2555円の値がついているのは、将来高くなるのを見越してのことなのだろうか。


<2010.11.5追記>

遂に本を買わない宣言をした禁を破って本書を手にした。amazonからようやく今日家に届いた。内容は一度読んでいたので、「はじめに」と「後記」を読んだ。「後記」を読んで率直に感動した。とともに「古き良き時代」はもう過去のものなのだと痛感した。現在、私は某女子大学や某公立大学で東洋史を非常勤で教え、とあるところで中国語を教え、高校で世界史を教え、さらに定時制高校へも行っている。加地先生も20代の頃、男子校や公立高や定時制で教えたという。私はもう四十に垂んとする者だが、非常に共感できる部分があった。高校生や若い子どもを巡る環境を憂う気持ちも素直に同感の意を覚えた。上で、『漢文法基礎』は、全然「基礎」じゃなく「入門」でもない、と書いた。それは事実だが、筆者は「後記」で、

「『漢文法基礎』はこうして刊行した後、或るときから長い間、増刷をしていなかった。その理由は受験生の心構えの変化である。かつてのZ会会員は、漢文が受験勉強に必要であろうとなかろうとそれとは別に勉強しようというエリートたちだった。だから、およそガリガリ受験勉強とは無縁な本書を楽しんで読んでくれていた。読者をからかっている本書を余裕をもって読んでいた。
 しかし、ここ十数年、およそ平成になっていからは、漢文を古典の素養として勉強しようという雰囲気の受験生が激減した。もちろん、それはZ会会員だけでなく、全国的傾向ではあろう。のみならず、大学入試センター試験以外、入試から漢文を除くという安っぽい大学が激増し、それとともに漢文を不要としたため、受験生の多くがそれと連動して安っぽくなってきたのである。まして分厚い本書を読もうとする気骨のある受験生は減ってきた。すべてお手軽の時代となり、私のような時代遅れの人間とは無縁となりつつあった。」

と記している。なるほど、やや挑戦的な口調やくだけた問いかけが多いのはそういう理由であったのかと、初めて本書の意図を知った。漢文をたしなむ人のための「基礎」であり「入門」なのだろう。そういう意味ではたしかに書名通りの本ではある。
 正直、私自身は中国古代を専攻していることもあり、また『論語』は孔子時代の世の中にあって生成されてきた語句であるから、春秋~戦国時代の、言わば歴史書として読むべきだと思ってきた。だから、朱子学は取らず、せいぜいが古学の集大成である、『論語集解義疏』どまりであった。それは三国時代・あるいは梁代までの古代人たちが、『論語』をどのような精神で読んだかが伺えるからである。それ故、加地先生の
儒教とは何か (中公新書)『儒教とは何か』
中公新書、1990年。
は、儒教の死に対する側面を強調した点は共感が持てたものの、どこか現代的すぎてついていけなかった所があった。
 しかし、『漢文法基礎』の「後記」を読んだ時、なるほど加地先生の学問の由来はそういうことだったのか、と合点した。歴史学も哲学も、現代人が行う以上は、それが現代的な所産となるのは当然のことであって、私なぞはともすると、ある歴史時代に特有のものを見出そうとする宇都宮史学に共感してしまうのだが、意図しようとしまいと、歴史研究や哲学研究は同時代的なものにならざるを得ないのだと思った。これは谷川道雄先生の諸論文を読んで、修士時代に痛感したことでもあった。加地先生のこの書の「後記」は、ぜひともこのブログの読者は読んでいただきたいと思う。

 本書は、まぎれもなく「古き良き時代」の「漢文入門書」である。
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テーマ:漢文・漢詩 - ジャンル:学問・文化・芸術

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