古代中国箚記

古代中国の文章・文物・歴史・研究について。とりあえず漢文(古典漢語)や漢字について徒然なるままに、また学会覚書、購書記録なども記していきます。

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『中国歴史地図集』全巻ウェブで見られます!

タイトル通りでございます(笑)。

かの譚其驤編『中国歴史地図集』(全8巻、中国地図出版社)が、タダで見られます。

僕が中国に初めて行った時に、上海の福州路のでかい書店で、兌換幣で、かつ、外国人向けコーナー(つまり中国人は立ち入り禁止)で買ったのが、『中国歴史地図集』の第3分冊でした。中国古代史を専攻したこともあり、また中国書が日本ではそれほど安くなかった(今でもそう思うが)時代だったので、以後、宋代以降のは買わずじまいでした。

そんなことを思うと、本当に隔世の感があります。

・中国歴史地図集
http://www.ccamc.co/chinese_historical_map/index.php

このサイト、かなり高画質なので拡大しても文字もはっきり見えます。

ただし、「地名検索」はできず、その地名も「簡体字」です。書籍ではずいぶん前に「繁体字版」は出ましたし、今では地名検索できるソフトもあります。でも、地図はやはり広げてみて、場所の感覚や距離を目でみて確認するというのはとても大事なことです。

いずれにせよ、有用なサイトです。著作権云々は、ここでは言わないでおきましょう。
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浦島太郎とはこのことか・・・(古代中国語の音韻と『詩経』の翻訳)

4年ほどブログを放置し、研究会にも5年ほど前に出たっきり、すっかり「研究の場」から遠ざかってしまいました。

理由はひとつではありませんが、「お金」の問題があることは否定できません。要するに、特に文系は学問だけしていても、お金にはならない(=生活できない)ので、現実世界でなんとか収入を得なければと校正や編集の仕事を増やしたからでした。

「研究の場」にいないと、いろんな情報から遠ざかってしまうものです。今日、こんな本が出ていることを知りました。

カールグレンと数人の中国人研究者を除き、研究されてないものだと思ってましたが、当然のことながら知らないところで研究は進んでいました。

 ウィリアム・H. バクスター『古代中国語音韻学ハンドブック』きこ書房、2014年

 ハンドブックといいながら、この本は1113ページもある、大著です。7334円也。

 handbookは、OEDOxford English Dictionary)に、
 

A small book or treatise, such as may conveniently be held in the hand; a manual.

 とあるように、本来の意味は「手でつかめむにちょうどよいくらいの書籍/専門書のこと」なので、ちょっと違和感があります。
 とはいえ、原著者の「ほんのハンドブックにすぎないけれど、これほどの厚さになってしまったよ」感が伝わってきます。ページ数からしても、扱う内容が専門的なことからしても、良心的な値段なのでしょう。
けれど、やはり高いと思ってしまう。
原書を買った方が安いはずと思って、見てみたら、なんと$547.88 (約6万2491円)。。。

絶対手が出ないわ。
まして、専門じゃないしw

でも、大学図書館などには入れて欲しい一冊です。と、思って出講先の大学図書館のOPACで調べたら、ありました。ありがたい。来週にでも借りにいこう。

また、こんな時に、amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」的な、いつもならうぜーよと思う機能がありがたいです。芋づる的に、ここで紹介していない本をいくつか紹介しておきましょう。

松丸道雄『甲骨文の話』大修館、2017年。
いわずとしれた、甲骨文字・殷代史の大家、松丸先生の本です。ちょっと内容紹介をみてみると、

松丸道雄先生の六十余年にわたる甲骨学研究のエッセンスが読みやすい形で新たな一冊に! 若き日の論文「甲骨文略説」、壮大な歴史研究「殷人の観念世界」、「十二支の「巳」をめぐる奇妙な問題」、書き下ろし「『甲骨文合集』の刊行とその後の研究」など11本の論考・講演録を収録。甲骨文字発見から百二十年のいま改めて、漢字の源流、甲骨文字の世界を味わえる一冊。(amazonより)

とあるので、いろいろな話・文章が収録されているとのこと。これはこれで面白そうです。

ついでに『詩経』はさまざまな訳が出ていますが、間違っても目加田誠訳なんていうものは買ってはいけません。『詩経』にかぎっていえば、基本的に中国文学者の訳は、歴史的な背景をほとんど顧みない翻訳です。
『詩経』に10首余り出てくる、恋愛などの男女関係を中心に講義で話すことがあり、『詩経』の翻訳を比較検討したことがあります。

基本としたのは、以下にリンクを貼った白川静訳でした。もちろん、白川訳がベストというわけでもありません。その際に参考にしたのは、牧角悦子『詩経・楚辞』(角川ソフィア文庫)、角川書店、2014年でした。この本で翻訳された『詩経』のうたは、なかなか鋭い指摘や深い理解と的確な訳語を用いており、非常に興味深く、また検討に値する翻訳でした。


何か1冊を、と言われた時、私は牧角訳の『詩経』を薦めています。

『角川新字源 改訂新版』は、こういう人が買うべきだ

あえて言いましょう。

『角川新字源 改訂新版』   
「買うべき」です。

ただし、中国や漢文を少しやったことのある方に、あるいは、校正者や校閲者を目指す方に限ってのことです。これほどいい教材はありません。固有名詞の間違い、変換間違い、地図の間違い、日本語として意味が分からない点などがちりばめられている、すばらしい教材です。

なにか漢和辞典を1冊、、、という方は、少なくとも初版は買ってはいけません。

辞書なんだし、角川新字源なんだから、そんな間違いとかないでしょ、と思う方や、営業妨害でもしたいのかなこの人、と思う人もいるかもしれませんが、数頁を検討した結果(詳細はすでにTwitterで発表すみ)、今回改訂の編者の筆頭である阿辻先生とは知り合いだけれども、悲しいかな上のように言わざるを得ません。

唯一、僕が感心したのは、おそらく中型漢和/国語辞典ではじめて大胆なデザインの函をつけた(特装版・左の方)ことです。
この発想はいままでの編集者にはなかったと思います。

まず熟語の語釈が旧版とほとんど変わりません。言葉の意味なんてそうそう変わらないからいいでしょと思う人はこの50年ほどの中国語研究・古典漢語研究・出土史料研究の成果を知らない人です。今の類書(中型漢和辞典)で、『漢語大詞典』を参照してないのは、僕が知る限りではこの『角川新字源 改訂新版』だけです。つまり、まだまだ時代遅れなのです。

他社はとっくに二色刷にしてるし、添え仮名つけたり全訳にしてるし、語釈にも手を入れてるのに、新字源は今回でようやく「親字」に手を入れ、二色刷にし、添え仮名をつけた(逆に言うと内容のほとんどは旧版約25年前と同じ)レベルに達したので、四半世紀ほど遅れているような気がします。

"30代の編集者が10年の歳月をかけて改訂した"
という宣伝文句があります。私も編集者のはしくれですし、漢和辞典の項目執筆や校正・校閲もしてきました。その経験と今回の改訂新版を見ると、「この編集者はこの先も辞書を編集するだろうか(今回の大失敗がこたえているに違いない)」「せめてあと1か月、いや半月だけでも販売を遅らせて、しっかり校正・校閲をするべきだ、と意見する人が社内にいなかったのだな。かわいそうにと思ってしまいます。

社内において、実は販売期日というのは、かなり絶対なものです。

漢和辞典というのは、高校入学時とセットで買ってもらうもの(少なくとも商品としては出版社はそう考えている)なので、クリスマスまでには、店頭に並んでいなければ話になりません。各高校の国語科教師にお願いして高校でお薦めないし購入必須の漢和辞典として指名されるためには、営業さんが現物を持って1校1校回らなければいけないので、営業サイドは1日でも早く出してくれというのが、「漢和辞典の社内事情」です。

そして、大手出版社の辞典ですから、刷る部数もそれなりにすごいわけです。

校了にした後、印刷会社で印刷し、製本会社で製本し、函製作会社は函をつくり、スリップや帯をつけ…と、あとあとの作業が待っていますので、ちょっとやそっとでは動かせません。そのためにそもそも「紙」をおさえないといけないし、全国に運送するてはずも整えなければいけません。

でも、編集者というのは本来的に独立した業種・業務であって、クライアントやさまざまな関係者の間に立ち、現実的に最大限の努力をして、よりいいものを、辞書に限って言えば、「間違いが載っていない」ものを、世に出す「責任」(あるいは「自負」)があります。

その意味では、30代の編集者という方は、私にはかわいそうでならないのです。

諸事情があるために、本来発売日は延ばせませんが、「半年前に1か月遅れる」という判断ができて、それを上司に直談判していれば、1か月校正・校閲しただけよいものが出せたはずです。何人かの辞典編集者をみて、私はそのような判断をし、上司に直談判するのが「辞典編集者」の大きな仕事のうちのひとつだと思うのです。本当の意味での最後の砦なのです。

20年弱使ってきた中型漢和辞典ですので、思い入れもあります。
それでも、今回の改訂は残念の一言しか思い当たりません。

KADOKAWAさん、阿辻先生、関係者の方々、こんな酷評しかできずにごめんなさい。

中国語の文法書といえばこれに尽きる!!

Why?にこえたるはじめての中国語の文法書
Why?にこえたるはじめての中国語の文法書


朗報です。
思わず、ブログを書いてしまいましたwww

基本的であり、詳細な説明で知られる中国語文法解説書の『Why?にこえたるはじめての中国語の文法書』が20年ぶりに改訂されました。用例を新たにした部分、文法解説を新たにした部分、画像資料を増やしたなど、変わっているようです。

私もはじめは「学ぶ」者として、そして、やがては「教える」者として、愛用してきました。

ざっとしかまだ見ていませんが、ある程度文法的な解説も加わっているので、買い直した方がいいでしょう。
すばらしい仕事だと思います。

白川静 三部作『字統』『字通』『字訓』

いま、ちょっとした仕事で古語辞典の項目執筆をしているのですが、猛烈に、


新訂 字訓白川 静
『新訂 字訓』
平凡社、2007年





が欲しい。いや、禁書令(本を買わない運動//笑)が出ているので買いたくないのだが、仕事で使うので買っちゃおうか、いややめておくべきか。。


この白川静の『字訓』は、いわゆる白川静三部作『字統』『字訓』『字通』のうちのひとつである。

『字統』は、白川氏の畢生の大作『説文新義』は基本になっていて、漢字の淵源にさぐった漢字字源字書とでもいうべきもの。甲骨文・金文・篆文の形を複数出しており、字義を細かくさまざまな方法で読みとっていく。「漢字の語源・字源」については現在もさまざまな説があり、学説が一致している漢字を見つけ出す方が難しいくらいだ。

学研の漢和辞典は藤堂明保の学説をいまも引き継いでいるし、三省堂の『漢字源』は「『説文解字』の訳」を載せることで語源・字源の解説の代わりとしている(ため、『説文解字』にない字の字源解説はなされていない)。その他の出版社の漢和辞典は今手元にないので触れないが、漢字の語源を網羅的に研究した人は、中国人にも(ほとんど?)おらず、日本の加藤常賢・藤堂明保・白川静の三氏くらいしか、私の頭には出てこない(もしかしたら他にもいるやもしれず)。

一言でいえば、漢和辞典をひいて、漢字の語源・字源を調べてはいけない、のである。

そこには、誰かの説が載っているか、あちこちの語源説を切り貼りしたような、そして一見もっともらしいものが書かれているけれど、実は語源に迫っていない説が立派な顔をして載っているのがオチである。

もちろん、漢和辞典をひいて、漢字の意味を調べることはできる。しかし、こと語源となるとそう簡単にはいかないのである。

これは、日本語でも同様で、『古語辞典』にはたくさんの用例とともにその古語の意味は載っているけれど、たとえば「あさ」という和語の語源についてはまったく示されない。したがって、「朝」の「あさ」と「浅はか」の「あさ」が同じものから出てきているのか、まったく別物なのか判断がつかない。

むろん、それらは『日本語語源辞典』のような書名のものに載っているのであるが、これは「誰かの説」を載せているにすぎないのが実情である。

古語辞典の項目を執筆する中で、漢字の語源同様に日本語の語源、つまり和語の語源というのは本当にさぐりがたいのだと痛感した(そもそも文字資料が絶対的に少ないので当然のことである)。

たとえば、古語「浅し」には「時間があまり経っていない」(「春は浅い」「夜が浅い」など)ことを表す意味がある。それに比して漢語の「浅」には「水が少ない」「水かさが少ない」から「考えが小さい」「色が小さい(薄い)」ことを意味しているが、こと「時間」については「浅」は用いられない。

#「浅学」は、学んだ時間が短い、あるいは短時間で学んだことだから「知識に乏しい」ことを意味しているのではなく、あくまでも「少ない量を学んだ」=「知識に乏しい」意なのである。


すると、漢語「浅」と和語「あさ(し)」を古代の日本人は、ほぼ同じ意味だとして「あさ」という音に「浅」という漢字をあてて定訳(つまり訓)としたわけですが、素人考えではありますが、上の比較から判断するに、

和語の「あさ」には「時間があまり経っていない」ことを表す意味がある(もしかしたらそれは語源かもしれない)わけです。

「あさ」に「朝」という漢字をあてはめれば、「1日の中で時間があまり経っていない時」という意味になるではないですか。

と、ここまで書いたら、トンデモな内容でかつ、白川静三部作からかなり離れてしまいました(笑)。


古代の日本人は、和語を漢字にあてはめる作業をして、訓読みができたわけですが、漢字は文字としてのイメージも強ければ、熟語の数・概念の数も多かったはずです(古代漢語の熟語を見れば分かるでしょう)。和語としての意味は、現代には『古語辞典』などにかすかに見受けられる程度かもしれません。

ここにフィーチャーした古語辞典が、白川静の『字訓』なのであります。引用古文は『日本書紀』『古事記』『万葉集』を基本にしていて、和語の語源にも迫っています。類を見ない辞典なのです。


新訂 字統白川静
『新訂 字統』
平凡社、2007年





は、新訂版になる前に古書店で6000円ほどで買い求め、睡虎地秦簡の字の同定などに使ったり、いわゆる白川氏の「口」説を含むさまざまな説を読みました。一時期は普通の漢和辞典をひく前にこれをひいたものです。

そんな作業をして気づいたことがあります。ところどころで違う説明をしているのは、辞書という大量のデータを相手にしているのでやむを得ないかとは思いますが、説明が非常に細かい漢字と、ほとんど説明がないような漢字があるのです。

使っていて、よくよく考えてみると、説明が詳しい漢字は、白川氏の「漢字はすべて祭祀関係のものであった」という自説を述べることができるところで、説明のほとんどない漢字は、祭祀関係ではないものだったりしました(音が近いから仮借したなどとする場合もあるが、他の所で詳細に語源を書いているのと対照的にあっさりしたものです)。

その辺に白川説の限界を感じたものです。また祭祀に使う入れ物(口)についても、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない、と言ってしまうことも可能です。実証実験や追試ができないからです。私自身は、祭祀関係の漢字については、かなり真実に迫っているのではないか、と思っています。

というのも、「占卜を記録する」行為は極めて神聖なものであり、そこに刻まれた甲骨文字(すなわち漢字)も神聖なものであったはずです。具体的な祭祀の道具や行為をより多く刻んだとすれば、白川氏の方法はベストな方法でしょう(もっともすでに指摘されているように、甲骨文字に簡冊を意味する「冊」という字が存在していたので、木簡・竹簡にも漢字は記されたでしょう。ただし、それを文書行政に使ったとは到底考えられませんから、何らかの祭祀関係で使われたのでしょう)。

白川氏も、甲骨文字の時代に文字の仮借を想定しているように、この時代ですでに仮借が行われていたのであれば、漢字はその頃すでにそれなりに長い歴史を有していたのでしょう。藤堂明保氏がよく白川氏を「言葉が先にあったのか、漢字が先にあったのか」と批判するのも理解できますし、単語家族説もギチギチに適応しない余裕があれば、受け入れられるものも少なくありません。

語源・字源を探るには、絶対的に資料が少ないので、様々なアプローチがあってしかるべきなのです。

ちなみに、

字通白川 静
『字通』
平凡社、1996年。




は、CD-ROM版を導入しているので、普通の漢和辞典のようにして使っています。というか、スタイルとしては普通の漢和辞典そのものです。『字統』と『字訓』がそれまでに類を見ないものだったのです。

あぁ、欲しい・・・。





と、つい現実逃避をしてしまいました。仕事に戻ろうっ!

<2013.8.14 追記>

上で披露した「浅し」のアサと「朝」のアサは同じではないか、という「思いつき」ですが、下記の書籍にこうありました。


日本語源大辞典前田 富祺(監修)
『日本語源大辞典』
小学館、2005年





あさ・い【浅い】

語源説

④アサは朝と通じる〈国語本義・名言通・和訓栞・紫門和語類集〉。



江戸後期からそう考える人はいたんですね。当否は分かりませんけれど。

テーマ:書道 - ジャンル:学問・文化・芸術

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